這次回台灣匆匆忙忙,星期五凌晨兩點左右抵達台北的娘家,中間還得回高雄的婆家,星期一下午兩點的飛機就飛回東京了。

這樣短短不到四天的台灣行,到底可以做什麼呢?

首先因為這次是我婚後第一次回台灣,所以除了回台懇親以外,還得處理一堆代辦事項,外加看了兩個不同科的醫生(雖然我身體大大小小的毛病應該可以看更多醫生,不過時間有限,只能讓我看兩場....),這樣子就耗去了大半天。此外,在台北的時間還跟我媽晃到龍山寺,做了場吃小吃兼剝皮寮文化之旅。

其實萬華(舊稱艋舺)從來不在我回台必去的行程之內。事實上以前對萬華地區總是敬而遠之,不過現在有捷運,到龍山寺比想像中快很多。


(今度台湾に帰った、台北滞在中に、お母さんと一緒に万華に行った。万華の旧名は艋舺だ。ほんとは私は万華エリアにはあんまり行かなかったが、今地下鉄で板南線龍山寺駅降りて、すぐに到着して、とても便利だ。)


我媽推薦的萬華陳記腸蚵麵線。蚵仔超肥的,大腸滷的顏色比別家的還要深,很夠味(因為上次在日本吃了蚵仔結果狂拉不止,這次看到肥滋滋的蚵仔當然是捐給H吃了)。


(お母さんおすすめの万華陳記の腸蚵麺線は、おいしかった。腸蚵麺線って、牡蠣と豚の大腸が入っているの麺だ。)


兩喜號的炒米粉+魷魚羹+土魠魚。
炒米粉還滿Q的,上面是淋了油蔥和蒜泥,跟平常吃的炒米粉上面淋的是肉燥不太一樣。


(兩喜號のビーフン炒め(材料は米だ)、唐揚げのツート魚、イカのとろみスープだ。これと前に書いたの腸蚵麺線は全部台湾の郷土料理だ。

店のサイト:
http://www.tabitabi-taipei.com/html/data/10319.html


萬華的小巷子裡也有這樣可愛的創意。


(かわいい小路だ。)


仁濟醫院的外型也很復古,看起來像是日據時代的建築。


(仁濟病院の外観だ。日本統治時代の建物だと思った。)


華西街夜市,白天的時候人寥寥無幾,有許多人一團一團圍著的銷贓市場(擦拉其),還有穿著短裙、繫著亮晃晃皮帶的中年婦女站成一排,跟旁邊的大叔附耳談交易(拜託,聲音大到我都聽到了)。


(華西街夜市って、とても有名な観光夜市だ。まだ昼間なので、店はまだ営業していない。)


這一家冰果店的menu還有用日文寫的,可見這裡的日本觀光客超多。


(この店は日本語のメニューもある。日本からの観光客はたくさん来ているみたいです。)


通過了一團團的擦拉其和一排排青樓女子,終於來到了龍山寺(呼~)

長這麼大,除了小時候媽媽帶我來過這裡,還去看過烏龜池(噴水池)以外,就再也沒有來過龍山寺了。根據小時候的印象,外面的瀑布似乎是加蓋的,噴水池也另外整修過了。我不信教,老實說也不喜歡去寺廟拜拜,所以以前對廟宇都沒有什麼好感。這次來龍山寺,不知道為什麼竟然有一種驚艷的感覺。


(小さい時、お母さんは私を連れて龍山寺に来た。私は寺や神社のところにはあんまり行かなかったが、そのあと、ここで行くことは一度もなかった。でも今度は龍山寺見た時、きれいなあと思った。どうして私の観点をよくなったかわからないですが、私は大人になってきたかもしれない??)


龍山寺是1738年的建築,之後經過多次改建和修復,現在是國家二級古蹟。龍山寺沒有俗麗的顏色,又蓋得很精緻,加上附近有名的華西街夜市,難怪成為觀光勝地。下次推薦外國人來台北,除了中正紀念堂、兩廳院、故宮以外,還會再多推薦他們來龍山寺吧。事實上,我們光是在龍山寺短暫的期間,就看到三隊日本的旅行團。


(龍山寺は1738年建ったの寺が、今二級の国家古蹟だ。もし台湾に来たら、ぜひ龍山寺に来て見ましょう。実は私達は龍山寺にいるところに、日本からのツアが三つ観光に来た。)


鑄銅龍柱,上面的雕刻非常精緻。


(銅雕龍柱って、台湾唯一的銅製の龍柱ので、すごい工芸だ。)


青草巷---這也是我第一次來,在現今西昌街224巷。台灣光復後由於都市規劃改建,各家青草藥店開始集中到這裡。據說這裡各式各樣的青草藥有三百多種。


(青草巷---私も初めて来た。いろいろな薬草店はここで集まった。300種類以上もの薬草がありそうです。)


完全叫不出名字的各種青草藥。


(薬草の名前は全然わからない。)

才吃了前面那幾樣,根本只是塞牙縫,所以又去周記肉粥店,點了紅燒肉和肉粥。不過這一盤紅燒肉要台幣100元,真的有點貴。



(そのあと、周記肉粥店に行った、紅焼肉とお粥を注文した。紅焼肉って、豚ロースの唐揚げだ。おいしいですが、値段はNTD$100なので、ちょっと高過ぎると思った。)


接下來也是此行的重頭戲----剝皮寮。剝皮寮本來是老松國小預定地,所以在都市計畫中得以保留歷經清代、日劇時期的原始面貌。後經台北市政府進行徵收,爲本土文化教育的目的重新規劃。最近因為電影艋舺在此拍攝,所以火紅起來。

至於為什麼叫做剝皮寮,其來源眾說紛紜,目前還有待進一步考證,有一說是因爲艋舺是木材集散地,並在此對樹木進行剝皮,所以叫做剝皮寮。


(それから、剝皮寮というところに行った。剝皮寮は、本来老松小学校の予定地でしたが、今、地元の歴史のために、文化財を通して歴史の町になった。だから清の時代、そして日本統治時代の町、そのままよく保存されている。最近、映画"艋舺"はここでレコードなので、人気のところになった。)

 


修復後的拱圈騎樓。


(修理したの道だ。)



剝皮寮歷史街區規劃的很好,保留店家原始樣貌。


(剝皮寮歴史の町だ。昔の様子よく保存されている。)


走在舊街道上,覺得很似層相識。我想大概在我上小學之前,在台北市看過類似的街道和商店招牌吧。如果我比現在再年輕幾歲,可能對這樣的舊街道不會感興趣,也許就是年紀到了,才會對於懷舊的東西特別感到珍惜(大概再過幾年我就會開始收集古董了吧??)


(旧時の町だ。なんかそのような町を見たことはある。私は前はそんなに古い町は興味はあんまりありませんでしたが、この頃古い町や寺によく行くようになった。)


有誰知道日本平頭和山本平頭是長什麼樣?


(昔のヘヤサロンだ。日本平頭と山本平頭はどんなヘヤスタイルですか?)

 


這家旅社裡,每個房間就只有這樣兩、三坪大,部份房間內有簡單衛浴設施。有在日本住過旅館還抱怨旅館太小的人,應該要來這裡看看。


(この民宿の部屋は2、3畳だけだ。日本のホテルより、やっぱりこっちのほうがもっと小さいだ。)


萬華地區的碗形地圖。


(お椀のような万華地図だ。)


舊時的電影海報。看到這海報,讓我想到小時候(念小學以前)偶爾媽媽會帶我們去西門町看電影。當時看的電影不外乎是搭錯車這類哭哭啼啼的片子,要不就是搞笑的外國戰爭電影。現在這種舊電影海報,大概也只有在幾家以懷舊為主題的餐廳看得到了。


(昔の映画ポスターだ。今このような映画ポスターは台湾ではあんまり見られないです。)

 


雕剪人像的攤販。小時候大概是在西門町吧,我和哥哥也剪過側面的剪影,可惜經過這麼多年,當年的剪影早就在混亂中不知去向。現在再也看不到這種雕剪人像的攤販了。


(雕剪人像って、昔は紙にはさみで裁って作るの人の画像だ。私達小さい時この雕剪人像も取った。残念ですが、今もうなくなちゃった。)


剝皮寮的現址在廣州街129-1號。有興趣的人可以來走訪看看。


(剝皮寮の住所は廣州街129-1號だ。ぜひ来て見てください。)



關於剝皮寮的歷史請見:
台北市鄉土教育中心:
http://59.120.8.196/enable2007/modules/tinyd1/index.php?id=6
(日本語の紹介もある)

萬華地區旅遊情報:
http://travel.network.com.tw/tourguide/point/showpage/104706.html

日本語の情報:
http://www.tabitabi-taipei.com/taipei/wan/index.html

http://www.tabitabi-taipei.com/more/2009/0715/index.html

http://jp.tw.tranews.com/Show/Style201/Column/c1_Column.asp?SItemId=0131030&ProgramNo=A000201000001&SubjectNo=9454

http://jp.tw.tranews.com/Show/Style201/Column/c1_Column.asp?SItemId=0131030&ProgramNo=A000201000001&SubjectNo=9354


p.s. 照片用iphone拍的,所以對畫質不要太要求啦。


(写真は全部iphoneでとったから、写真の質はよくない。)


ああやっと終わりました。もう疲れた!今日本語を勉強して、まだ下手ですが、もし文法や書く方などが間違いことはあったら、正しいの書く方を教えてください!

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